サッカーチームは教会だ
昨日のスポーツカフェは"Stadtmitte”というドイツ色満載のイベントだったわけですが、その中でRainer Buhtzさん(東京ドイツ文化センター ドイツ語教育広報部長) と 粂川麻里生氏(慶應義塾大学文学部助教授(現代ドイツ文学・思想、文化史))のトークショーがあり、これがなかなか面白かったです。
特に印象に残っているのが、Rainerさんが言った「スポーツ(サッカー)チームは”教会”の役割を果たしている」という話。
このトークショーは今年と来年が「日本におけるドイツ年」であることと、もちろん来年のワールドカップを視野に入れて行われたようで、トークショーもドイツ国民のサッカーとのかかわりや歴史についてを中心に、なかなか興味深いお話をしてくれました。
ワールドカップでの初優勝がドイツにとってどんな意味があったのか(戦争などの時代背景のもと)、そして現在のサッカーが人々の生活の中でどんな役割を果たしているのか、などなど。
で「サッカー(スポーツ)チームは教会だ」ってすごく判りますね。
『今から70年くらい前までさかのぼれば、まだドイツの人々の生活は宗教(=キリスト教)が中心で、週末にはもちろん教会に行き、礼拝をし、聖歌を歌って神を賛美することによって、人々は充実した楽しい時を過ごし、共感しあった。でも今は、その役割が「football」。まさにサッカーチームが教会の役割を果たすようになった。』というRainerさんのお話に、とても共感してしまいました。ドイツの事情というよりも、「サッカーって、一種の宗教だよなー。」ってこと。
話はちょっとそれて長くなるけれど、私は中学校からキリスト教系の学校に通い、毎日礼拝をし、聖歌を歌い、聖書を読み、説教を聞き、その中で新約聖書で説くイエス・キリストのたとえ話に心を打たれ、くじけそうなときには思い出し・・・・。そんな学生生活を送ったんです。でも、クリスチャンにはならなかった。なれなかったというよりも、なる必要がなかった。時々必要なときに心に残る教えを思い浮かべることぐらいが私にとって必要なことでした。
そしてそんな学生生活のことも徐々に忘れつつ、社会人になってかなりの時間を過ごしてから、あるゴスペル・クワイアーのメンバーに加えてもらうことになりました。きっかけは、歌うことが大好きだったし、ブラック・コンテンポラリー・ミュージックが好きだった私にとっては、近くに日本にコンテンポラリー・ゴスペル・ミュージックを紹介した草分け的な人が率いるクワイアーがあるなんて、とてもラッキーなことだったし。
でも、最終的にはその中にいることに耐えられなくなってしまった。
なんでかと言うと、「自分はクリスチャンにはなれなかった」から。
「私は神様にすべてをささげます。神様がいらっしゃることがこんなに素晴らしいなんて!心のそこからありがとう!」と本心から歌えない自分がだんだんみんなと共感しあえない、と気づいたから。
他のメンバーたちが本当に嬉しそうに、楽しそうに、時に涙を流しながら、心のそこから賛美しているのに、自分は違うんだな・・・・。どうしてもそうなれない・・・・。
そう思ったときに、私はそのクワイアーを去る決意をしました。
でも、他のメンバーたちが教会で歌いながら感じていた興奮・感動・純粋な「信仰」心のようなもの、それがスタジアムで愛するチームが戦っているときに沸き起こってくる感情にとても近いんじゃないかと思うんですよ。
もし、クワイアーが賛美する対象が東京というチームだったら、それはもう信じられないほどのパフォーマンスを発揮できたと思うんですよね。私。
閑話休題。(でもないか、今までの話が実は本題(笑))
ドイツっていう国に結構興味が深まりました。ドイツにはプロ・アマを問わず、27,000のサッカーチームがあるんだそうです。サッカー人口は600万人(!)。
そのほとんどがもちろんアマチュアのスポーツチームで、毎週のように集まり、スポーツをし、プロチームの試合の時には集って応援し、その試合の興奮・反省etcを語り合いながら美味しい食事をし、飲み・・・。(まあ、ペーニャってことですよね。基本形。)
そんなスポーツを中心としたコミュニティーが出来上がっていて、それはユースや子供の世界でも同じなんだそうです。
ドイツの大都会では、1/3の家庭が一人親家族なんだそう。子供たちは、学校が終わった後はそういったユースチームに所属して、社会性も学んでいるのだそうです。
来年のワールドカップは「行けたら、行きたい~!」って思ってたんですけど・・・・。
やっぱり行きたい。(休みがとれるのか?それが問題だ・・・・(笑))
特に印象に残っているのが、Rainerさんが言った「スポーツ(サッカー)チームは”教会”の役割を果たしている」という話。
このトークショーは今年と来年が「日本におけるドイツ年」であることと、もちろん来年のワールドカップを視野に入れて行われたようで、トークショーもドイツ国民のサッカーとのかかわりや歴史についてを中心に、なかなか興味深いお話をしてくれました。
ワールドカップでの初優勝がドイツにとってどんな意味があったのか(戦争などの時代背景のもと)、そして現在のサッカーが人々の生活の中でどんな役割を果たしているのか、などなど。
で「サッカー(スポーツ)チームは教会だ」ってすごく判りますね。
『今から70年くらい前までさかのぼれば、まだドイツの人々の生活は宗教(=キリスト教)が中心で、週末にはもちろん教会に行き、礼拝をし、聖歌を歌って神を賛美することによって、人々は充実した楽しい時を過ごし、共感しあった。でも今は、その役割が「football」。まさにサッカーチームが教会の役割を果たすようになった。』というRainerさんのお話に、とても共感してしまいました。ドイツの事情というよりも、「サッカーって、一種の宗教だよなー。」ってこと。
話はちょっとそれて長くなるけれど、私は中学校からキリスト教系の学校に通い、毎日礼拝をし、聖歌を歌い、聖書を読み、説教を聞き、その中で新約聖書で説くイエス・キリストのたとえ話に心を打たれ、くじけそうなときには思い出し・・・・。そんな学生生活を送ったんです。でも、クリスチャンにはならなかった。なれなかったというよりも、なる必要がなかった。時々必要なときに心に残る教えを思い浮かべることぐらいが私にとって必要なことでした。
そしてそんな学生生活のことも徐々に忘れつつ、社会人になってかなりの時間を過ごしてから、あるゴスペル・クワイアーのメンバーに加えてもらうことになりました。きっかけは、歌うことが大好きだったし、ブラック・コンテンポラリー・ミュージックが好きだった私にとっては、近くに日本にコンテンポラリー・ゴスペル・ミュージックを紹介した草分け的な人が率いるクワイアーがあるなんて、とてもラッキーなことだったし。
でも、最終的にはその中にいることに耐えられなくなってしまった。
なんでかと言うと、「自分はクリスチャンにはなれなかった」から。
「私は神様にすべてをささげます。神様がいらっしゃることがこんなに素晴らしいなんて!心のそこからありがとう!」と本心から歌えない自分がだんだんみんなと共感しあえない、と気づいたから。
他のメンバーたちが本当に嬉しそうに、楽しそうに、時に涙を流しながら、心のそこから賛美しているのに、自分は違うんだな・・・・。どうしてもそうなれない・・・・。
そう思ったときに、私はそのクワイアーを去る決意をしました。
でも、他のメンバーたちが教会で歌いながら感じていた興奮・感動・純粋な「信仰」心のようなもの、それがスタジアムで愛するチームが戦っているときに沸き起こってくる感情にとても近いんじゃないかと思うんですよ。
もし、クワイアーが賛美する対象が東京というチームだったら、それはもう信じられないほどのパフォーマンスを発揮できたと思うんですよね。私。
閑話休題。(でもないか、今までの話が実は本題(笑))
ドイツっていう国に結構興味が深まりました。ドイツにはプロ・アマを問わず、27,000のサッカーチームがあるんだそうです。サッカー人口は600万人(!)。
そのほとんどがもちろんアマチュアのスポーツチームで、毎週のように集まり、スポーツをし、プロチームの試合の時には集って応援し、その試合の興奮・反省etcを語り合いながら美味しい食事をし、飲み・・・。(まあ、ペーニャってことですよね。基本形。)
そんなスポーツを中心としたコミュニティーが出来上がっていて、それはユースや子供の世界でも同じなんだそうです。
ドイツの大都会では、1/3の家庭が一人親家族なんだそう。子供たちは、学校が終わった後はそういったユースチームに所属して、社会性も学んでいるのだそうです。
来年のワールドカップは「行けたら、行きたい~!」って思ってたんですけど・・・・。
やっぱり行きたい。(休みがとれるのか?それが問題だ・・・・(笑))
by pakori
| 2005-08-19 01:02
| football
S | M | T | W | T | F | S |
1 | 2 | |||||
3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 |
10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 |
17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 |
24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 |
31 |